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9.どこまでヒストリーを書いたか引っ越しの混乱で忘れてしまいそう。(笑)

category : ほんの木ヒストリー 2013年12月6日 

さて、芳泉(漢方入浴剤)のテレビでの大ヒットで、1992~93年で何とか危機を脱出した「ほんの木」。幸運のお返しに作ったのが「障害者作業所全国電話帳」でした。お陰様で、今も私たちのDMは、その作業所の中のひとつ「ゆめ工房」(江東区)で封入やラベルはりをやってもらっています。(ありがとうございます。)小さな仕事ですが、実は私たちは障がい者の皆さんに大変に助けられているのです。
その後1995年1月17日に阪神淡路大震災があり、「ほんの木」でも柴田と高橋が、ビデオジャーナリストの神保哲生さんと3人で救援物資を積み現地入りしました。神戸の被災地区を丸2日かけ全て回り、東京でNGOやボランティアの人々に、その実情と救援体制作りを伝えました。以後続々と東京などから現地入りしたNGO団体やボランティア・グループが現れたのはご承知の通りです。この時から、私たちは、巨大地震や防災の情報を、小社DMの中に新聞や冊子形式で同封し、お客様に的確な安心と安全情報をお届けするようになりました。

障害者作業所全国電話帳

障害者作業所全国電話帳

また、私たち「ほんの木」を救ってくれた下村健一さんが、「障害者作業所全国電話帳」を調べ、神戸の被災地の作業所をバイクで回り、障がいを持った方への貴重なニュースを報道したそうです。(実に何か運命的?)
97~98年の丸1年間、代表の柴田が「らでぃっしゅぼーや」の当時の代表者に頼まれ、組織改革で常務として出向しました。
次に1999年末に、コンピューター2000年問題が起こり、市民の事務所2団体を、当三錦ビル、ほんの木のスペースに迎え、何事もなく、2000年に。
当時、NGO活動推進センターも小社のスペースに同居していたこともあり、その団体の理事であった熱帯森林保護団体代表の南研子さんの出版を(あまりに面白いNGOの人なので)計画。2000年4月発売、6月「天声人語」にのりました。また1998年には、シュタイナー教育と思想の実践者、大村祐子さんがアメリカから帰国。柴田と偶然の出会いがあり出版を開始しました。(続く)

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